サボテン備忘録

面白かった映画の感想を書こうかな.

Green Book

グリーンブック

 

高名な黒人ピアニスト(シャーリー)がイタリア系の白人(トニー)をツアーの運転手として雇い,黒人差別の根強く残るアメリカ南部を回る話.初めはトニーも黒人への無意識の偏見があるが,シャーリーのピアノの演奏に一瞬で引き込まれ,一瞬で仲間になる.ツアーは各地の白人の上流階級の集まるパーティーに呼ばれたものであり,白人はシャーリーの演奏に感動をする.だが,ひとたび演奏が終わると,シャーリー用のトイレは他の黒人と同じく屋外のぼろい建物.見ているこちらも気分が悪くなる.最高の演奏をしては差別的な扱いを受け,不当な待遇を与えられてはその場で最高のパフォーマンスを行う.その交差の連鎖で我々は非日常的な体験をする.しかし同時に,演奏中のシャーリーの表情がどこか物悲しい.そういうスタイルなのか,そういう調べなのか,はたまた白人のダブルスタンダードを感じ取っているのか.上流階級の白人は黒人をツールのように扱う.農奴のごとく働かされる黒人も描かれるし,バーやホテルのセグリゲーションもある.シャーリーのツアーも,白人たちが楽しいひと時を送るためのスパイスに過ぎない.演奏は聞きたい,だけどトイレや楽屋は同じところを使わせたくない.実に不快.

しかし劇中ではシャーリーはトニーといるときだけ,心から笑うことができる.二人だけの秘密のようにちょっとだけ悪いことをしては心を通わせる.どういうわけか人間は秘密の共有により,人間同士の距離がぐっと縮まることがある.ルールの外側に出るからこそわかるお互いの人格がある.当時のルールでは黒人は白人と同じ文脈を共有してはならない.だからこそトニーとシャーリーの旅はルールを逸脱している.ゆえに享楽を分かち合う.ドawayなshowでしかない白人上流階級(高級なピアノを用意する)へ向けてのコンサートよりも,coloredのためのバーで名前も知らない者たち同士で演奏(楽器も安っぽい)したジャズの方が,何倍も輝かしく,その場にいなくてもその場と同じ輝きの瞬間を共有できる.ルールの内側の窮屈さと,ルールの外側の輝きとが映画のいたるところで繰り返される.それが収斂されるのが,「青い石」である.シャーリーとトニーを結びつけるのがこの石であり,それはトニーがほとんど万引きで得たものであり,さらにトニーからシャーリーがくすねた石だった.

いかに白人に気に入られようが黒人として生まれた瞬間からルールの内側を生きられないシャーリー.自らの差別意識(トニーは旅の途中常に拳銃を携帯していたと最後にわかる)に反してシャーリーとつきっきりの2か月間の旅をしなければならないトニーもまたルールの外側を(旅の間は)生きることを強いられる(黒人の運転手として雇われた!).であるがゆえに,旅のあとの親しい間柄同士の楽しいクリスマスパーティーも,どこか楽しくない.なぜか.もはやルールの内側を生きられないからである.その内側はつまらないと気づかされた.教科書的な方法で教わるのではなく,自らの体験をもってその喜びを知ってしまったのである.ドラッグの快楽を知ってしまったかのごとく.それがまた音楽を通して得たことも示唆的である.言葉を介在せずに感情を引き出すことのできる音楽だからこそ,黒人のシャーリーと,教養もなく無意識の差別感情に凝り固まったイタリア系白人のトニーとがつながる.音楽であるからこそ,映画として「説明臭さ」もない.良い映画であった.

 

https://www.netflix.com/browse?jbv=81013585